勉強しないといけないのはなぜ?
僕が、毎日放課後カフェに寄るのは、勉強を集中するためだ。
家に帰って寝たり、遊んだらしたらいいのに、と自分でも思うが、やはり勉強してから帰宅する。
それは、「勉強せねば」という使命感と、「勉強したい」という意欲の両方が起因している。
ぼくは京大生だ。家族に大学進学している人はいない。
そんな中での京大生なので、期待がかなり大きい。
「あんたどんだけ賢いねん」とよく言われたものだ。
しかし、普通学力のピークは大学入学時だという。
賢いから、それに値する勉強ができる大学に入学許可されるのに、
勉強せずして、大学を卒業するのはいかがなものか。
期待は親からだけではないだろう。
もちろん、世の全ての人は京大生なんかには未来を託していると思う。
実際、電車で隣に座ったおばさんに話しかけられ、学歴を明かすとやはり、「あなた達に将来はかかってるからね!」
なんて、言葉をかけられるものだ。
実際そうだろう。世の中を変えれる人は、世の中の真理を広く深く知る人である。
世の中をそのように理解していけば、他の誰もが気付かない境地に至る。
その境地から革命が起きる。
その連続で世の中は、皆んなが暮らしやすいものになっていく。
自分は将来どれだけ大物な人間になれるか分からない。
しかし、ここでいう「分からない」とは、必ずしもネガティブなセンスではない。
むしろ、ポジティブに捉えられるべきだ。
勉強すればもしかすれば、世の中が変得られるかも知れない。
低俗な言い方をすれば、大金持ちになれるかもしれない。
京都大学は、本当に優れた研究機関だ。図書館に行って手に入らない教材はほとんどない。
授業も国内最高峰のレベルで展開される。
そんな恵まれた環境で、勉強しないだなんて、勿体ない。
「点々がつながる」そんな時を待って、微生物の研究、環境問題の勉強、経済の勉強、植物の勉強、全部やっていくのだ。