京大生といっても、昔は成績バカでした。

 

私は確かに京大生だけど、小学校とかの頃は、所謂「クラスの天才」とはほど遠い存在だった。

 

その頃、頭いいね って言われたことが一回でもあっただろうか?

 

そう、私はヂアタマが、言い訳では全くない。

 

京都大学自体は確かに、東京大学に次いで、2番目に賢い大学だろう。

 

しかし、入ることはそう難しいものではない。絶え間ない努力がありさえすればだ。

 

私の場合、小学校、中学校の頃は所謂天才、神童と呼ばれる存在からは程遠いものであった。

 

勉強少年というより、ただのサッカー少年であった。

 

公立中学だったので、高校受験を乗り越える必要があったが、そこは頑張れた。

 

受験期間は、友達と遊ぶことは一切なく、塾に通うか、毎日家で勉強しまくるのみ。

 

すると気づいた。勉強してみたら点数伸びるなこれは、。ほとんどが知識問題ではないか。

 

できるできないは、覚えてる覚えていない、その差に過ぎないのだ。

 

なんとか受かった高校は県内では有名なところではあったが、上位合格をしたわけでもなく、なんとか受かったに過ぎないものだった。

 

それに、京都大学は毎年5人くらいしか出ない所で、名門進学高校と言えるわけでもない。しかし、入学当時の自分の勉強意欲は昔とは全く異なるものであった。

 

「勉強すれば、どこまでも賢くなれる」

 

そんなことを思った私は高1から勉強に熱心に取り組むことを決心していた。

 

成績は順調に伸び続けたが、1発合格はならず。浪人生活が始まった。

 

ここで私は考えた。勉強の本質はなんだ。勉強の核心は自学ではないか!と気づき、予備校へ行かず宅浪生活を決めたのだ。

 

他の浪人生が先生の話を聞く時間に、私は は1つ2つと暗記を重ねられたのだ。

 

これが続けば予備校生よりも成績が上がるのは当たり前だ。僕の考えに過ぎないが。

 

一年の浪人を経て、余裕で合格した。1年浪人してる地点で余裕な訳はないのだが、点数的には難なく合格した。

 

とにかく、努力しまくったら凡人、いや凡人以下でも京都大学くらい合格してしまうのだ。