ファッション

○自分にとってのファッション

・自分の人となりを表す第1のもの。

第一印象、それは人と人とが出会う時必ず発生する認識のことだが、第一印象の大部分は、その人の見た目ではなかろうか。カッコいい、かわいい、好み、ぶすとかだけでなんらかの好意、無関心が発生する。正直、顔は固定パラメータだ。生まれ変わる以外どうしようもない。ただ、見られてる部分は他にもある。髪の毛、服装だ。占める表面積として、服が圧倒的であろう。その服に拘らないわけにはいかない。顔と異なり、自分の工夫が可能だ。また、来ている服というのには、少なからずその人が選択したプロセスが含まれている。要するに、その人のある程度の思考傾向が見られるのだ(大半の人は意識しないかもしれないが)。この人は、流行を追って無難な格好良さを求めてるんだな。雑誌のかっこいい人を真似して自分もカッコよくなろうとしてるんだな。奇抜にして、人との違いを演出しようとしてるんだな。あまり深く考えずに何となくで服を選んでるんだろな。など、思うところは沢山ある。とにかく、服だけで自分の印象が良い悪い様々変化しうるというならば、私は拘る方を間違いなく選ぶ。

 

○ファッションのあるべき

・ファッションの起源

ファッションとはそもそも、fashion(流行、型)という意味であるから、人の真似事をするのが基本だ。それは、服選びの難しさから起因するのではなかろうか。服の色・形・デザインなんてものは、無数に存在しえる。皆にファッションの知識が全く備わってないとしたら、その中から大多数の人にウケるものを選び出す、というのはかなり難しくないだろうか。ポイントはその、知識である。皆は雑誌や、街中の歩く人で、ファッションの知識を身につけている。どんな服がイケて見えるのかを知っているのだ。服選びは、その知識を元に行われている。つまり、元を辿れば人の真似事にすぎないのだ。そもそも、庶民の手の届きやすいブランド?服屋?は、そういったイケてることが既知なアイテムを集めている場合が多い。人の真似事になることが避けられない。欧米のコレクションにでるような高級なブランドでない限りだ。

 

・現代で求められるファッション

昔は実際に、イケてる服を真似するのが雛形とされた。韓国ファッションは今でもそうだが。しかし、それが行きすぎた故か、没個性に恐れる人々が増えてきた。そして、他人と異なることを良しとする傾向が発生した。イデオロギーは集団と同じものを持ちつつ、服装というアピアランスは人より目立とうとすることが求められている。

 

・僕の求めるファッション

人より目立とうとすると、その辺の服屋さんではそのニーズを満たさない。少しお高いブランドの服を求めざるを得なくなる。その数あるお高いブランドの中からコレ、と1つ決めるにはやはりイケてる人を見つける必要がある。結局、真似事という観点では原点回帰なのである。ただ、そのイケてる人が少数派、ということしか異ならない。シュプリーム、オフホワイト、ヴィトン(並列するのは変だが)など、ロゴ力の強いブランドがそんな感じだろう。僕の求めるファッションはそんなんじゃない。ロゴとかじゃなくて、その服の持つ本質・込められた信念で選びたい。まず本質とは、ブランドに縛られず、服のデザイン、シルエットが単純に良い!と感じて選ぶもの。込められた信念とは、そのブランド・デザイナーにどんな歴史があって、どんな考えから服が生み出されているのか、ということである。規格外な服でも、本質が間違ってなければ、また、確固たる歴史信念があれば、違和感なく着ていられるものだ。しかし、ここで最後の問題が発生する。お店の服は、誰かは絶対持っている、ということである。服の組み合わせで唯一無二を作り出すことは確かに可能である。しかし、組み合わせは意外と難しい。本質と、歴史・信念の両方を満たす服を見つけるのがまず困難だからである。そう、行き詰まっていると、唯一、1つだけ、これだけは覆しようのない真理が思い浮かぶ。服を自分で作ればいいんだ。これだけは誰にも真似しようがない。自分の欲しい本質と、体現したい信念、両方が満たされて、尚且つ「結局、人と同じか」というやるせない気分になることも絶対ない。これこそが自分の求めるファッションなのだ。